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help リーダーに追加 RSS 「東山魁夷・・・すみ夫人が見た素顔の巨匠」

<<   作成日時 : 2008/03/20 18:36   >>

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東山魁夷・・・・1908年(明治41年)7月8日、船具商:東山浩介と
         妻くにの次男として横浜市に生まれる。
         3歳の時に父親の仕事の関係で神戸市西出町に転居。
         兵庫県立第二神戸中学校(現兵庫高校)在学中から
         画家を志す。
         東京美術学校(現東京藝術大学)日本画科へ進学。
         卒業後、結城素明に師事する。
         1929年:第10回帝展に「山国の秋」を初出品し、初入選を果たす。
         卒業後:ドイツ・ベルリン大学(現フンボルト大学)へ留学。
         1940年:日本画家川崎小虎の娘すみと結婚。
         1945年:応召し熊本県で終戦を迎える。召集解散後、小虎、母、
         妻の疎開先山梨県巨摩郡落合村(現アルプス市)に落ち着く。
         11月に母=くにが亡くなり、千葉県市川市に移る。
         その後吉村順三設計による自宅を建て、50年以上をその地で
         創作活動を続けた。
         1947年:第3回日展で「残照」が特選に選ばれた。
         以後風景を題材に独特の表現を追及した。
         



東山魁夷の妻、すみさんが魁夷との結婚の顛末、魁夷の日頃の生活等を
語り、作品が紹介されていた。
すみ夫人は自身も美術学校出身で画家志望だったが、自分には才能が
ないと画家を諦めた。諦めはしたものの美術展などに足繁く通っていた。
そんな時魁夷の作品を観たすみ夫人は、魁夷と結婚したいと思うようになった。
魁夷はその話しを受けて、画家として生活を立てる事ができない状態だと
打ち明けるが・・・「まだまだこれからもそんな生活は続く」といわれ
逆に結婚を決意する。



魁夷は父親の女性関係などで母が苦しんでいるのを子供の頃から
見ていたので、なんとか立派になって母親を楽にさせてあげたいと
思っていたようだ。中学生の頃から画家を志していた魁夷だが、
美術学校進学を父に打ち明けたら反対された。
しかし魁夷の思いつめた様子を見た父は、条件を出して許す。
それは日本画なら・・・というものだった。
これまで洋画を描いていた魁夷は困ったが、美術学校に入れればと
日本画科に入った。



美術学校に行くようになって、魁夷は自分が恵まれているという事に
気付き、真面目に努力しなければ・・と考えるようになった。
学校を卒業して、ドイツに渡り美学と美術史を学ぶ。
そこで知ったドイツロマン主義の画家:カスパー・ダーウィト・フリードヒを
はじめて日本に紹介した。
師事した結城素明は「心を鏡にして自然を見よ」と説いた。
魁夷は「心象を盛り込む」ことによって日本画を革新しようとする。



戦後に描いた「残照」で日展で特選を受けた魁夷は、以降「風景」を
テーマに独自の表現を追及する。
1950年には「道」が発表された・・・前方にただ真直ぐ伸びる道を
描いた作品で、単純化を極めた画面構成に新機軸が示されている。
北欧・ドイツ・オーストリア・中国・・等を取材し次々と作品を発表する。
平明でありながら深い精神性を備え、幅広い支持を集めた。
約10年をかけて制作された奈良:唐招提寺・御影堂壁画は
畢生の大作となった。 



弟子を取らず孤高の作家だった魁夷の傍で、助手のように
付き添ったのはすみ夫人だった。
父親が心臓喘息で亡くなり、母は脳溢血で倒れその後亡くなった。
兄と弟を結核で失った魁夷にとって、画家として世間に
認められても喜んでくれる家族はいなくなったと悲しんだ。
1999年5月6日・・・老衰のために90歳でこの世を去った。
奇しくも鑑真和上と同じ命日だった。



私は魁夷の作品では、連作「馬の見える風景」が好きだ。
白い馬は一体何を表しているのかと問われると、
見る人の自由だというような意味の事を言っていたと思う。
私は白い馬が際立つ背景の色がとても好きだ。
「道」で描かれている夏草の緑青の色も好き。
”風景は心の祈りであり、心の鏡であります。
そして人間同士の心は、互いに通じあえるのだから、
「私の風景」は「私たちの風景」になりえるのだ”




すみ夫人が穏かに魁夷の事や結婚生活を語る。
なんだか今でも魁夷が傍で暮らしているかのごとく、
淡々と話しをしていた。
魁夷の才能に惹かれて結婚した・・・そんな感じする。
そして二人三脚の人生を過ごした。
魁夷は真面目で優しい人だったんだろう。
兄を結核で亡くし、その後弟も結核で倒れた時、
ハガキに物語を書き、送り続けたということからも
わかる。弟に少しでも喜んでもらいたかったのだ。
そんな人が次々と家族(肉親)を失ったのは、
辛かったことだろう。



彼は学生時代にキャンプ旅行の途中、激しい夕立に
遭った時、親切にもてなしを受けたことを感謝して、
後に500点もの版画を寄贈したり、少年時代を過ごした
神戸市や父の出身地香川県にも作品を寄贈している。
東京国立近代美術館や長野県にも作品を寄贈している。



せとうち美術館や魁夷の自宅に隣接されている
市川市東山魁夷記念館に行ってみたいと思った。
白い馬は私にとって、一体何にみえるだろう?
自分の心の中をじっくりと覗いて見ることが
今の私には必要かもしれない。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
昨日 市川の美術館へ行ってきました。
質問があれば どうぞ♪
ひろみ
2008/04/04 19:32
ひろみさん、市川の美術館に行かれたのですか?
いいなあ、質問したい事は沢山ありすぎて・・・
まとめて今度質問させてもらいたいと思います。
かんすけ
2008/04/04 23:23

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